No.012

住み継ぐ。自分たちの生活を作っていくこと。

宮崎県宮崎市 本郷の家

宮崎県宮崎市本郷の住宅のリノベーション

全体の写真(竣工時)

ニッポン一便利な空港は、世評では福岡空港ということになっているが、一日に発着する便数の数や歓楽街の規模の大きさを考えなければ、アクセスと移動のシンプルさは宮崎空港がニッポン一かもしれない。

四田(よつだ)邸は、空港から車でわずか7、8分、月見ヶ丘と呼ばれる住宅地に隣接した本郷にある。思い思いのデザインの家が建ち並ぶ閑静な地区だ。

四田三雄・芳帆さん夫妻が、この家で生活を始めたのは2022年11月のこと。元は三雄さんが育った実家だった。しかし一人暮らしになったお母様が平屋で暮らしたいと言い出し、近所に所有するもう一軒の家に移られた。代わりに、宮崎市の中心部に近い2LDKのマンションで新婚生活をスタートさせていた三雄さん夫妻がリフォームして住むことになったのだと言う。

そのさいの三雄さんのこだわりは「リフォームでも建築家にお願いしたい」ということだった。

三雄さんは東京の大学を卒業後、新卒でハウスメーカーに入り、結婚した奥様の実家は、祖父が創業者のオリジナル家具メーカー。家と住まう人、家具と使う人との関係を思うことは、夫妻にとってそれほど非日常的なことではなく、“日常”の延長にあったといっていい。その上での、工務店ではなく「建築家にお願いしたい」という強い一択である。

三雄さんにとって建築家とは、自分の要望やライフスタイルに耳を傾け、理解し、それを具体的な提案にし、自分では思いつかなかった工夫やアイディアなども授けてくれるパートナー。音楽で言えば、密なコミュニケーションで成り立つライブハウスのような所で生まれるセッションだろうか。呼吸が合えば、家という名の名演奏が生まれる。

親の代から使っている家具をリペアして使う

「この家は純和風だったんです。和のいいところは残して、シンプルで住みやすい家を作ってくれる建築家をネットで探し、山田伸彦さんが主宰する山田伸彦建築設計事務所にたどり着きました。完成した事例を見て、しっくりきたんです。木の扱いがあったかくて、落ち着いた色味もいい」(三雄さん)

新しく出来た棚には好きなものたちが飾られている

山田伸彦建築設計事務所が東京に本拠地を置いて、山田さん自身の故郷でもある宮崎と往復しながら設計監理の仕事をしているワークスタイルも、ポイントが高かったと言う。

「僕の通った大学と、東京の杉並区にある山田設計事務所は同じエリアの文化圏。親しみを感じたというのもありました。僕はこういうことではあまり迷わないんです。“この人だ”という自分の直感を信じました」(三雄さん)

三雄さん自身はハウスメーカー勤務から、お父様が創業した健康食品(メーカー&販売)の会社を継ぐことを決意してUターン。仕事一筋だったお父様の逝去を機に、会社を継いだ30代の青年社長である。

「最初に伝えた全体のイメージは、とにかく明るい家にしたいということです。古い家は台所、茶の間、客間、仏間と細かく区切られていて、昼間でも電気を付けないと過ごせない。リビングは2パターンの提案を頂いたのですが、予想を遙かに超えた仕上がりで、本当に夢見たとおりの形になるんだと感動しました。照明などもドストライクで(笑)」(三雄さん)

「明るい家」と同じくらい三雄さんがこだわったものがある。趣味のキャンプだ。「自分のキャンプがやりたい」。具体的に言えば、キャンプ道具を見える所に出しておきたい、道具をラフに扱える場所がほしい、車への道具の搬入搬出も直接できるようにしたい、などなど。イメージは、多趣味なことで知られる所ジョージ氏のガレージ。いわゆる男の遊び場である。

あらゆる場所にアウトドアの品がある

山田さんが提案したのは、玄関のすぐ左手にコンクリートの土間を作ること。駐車場の車とも直で荷物の出し入れができる。

室内から一段下がったその土間の棚にはランプやテント、シュラフなどのキャンプ用品が並び、頼もしい大きさの石油ストーブと、キャンバス地でできたアウトドアチェアが座る人を待つ“野趣”に富んだ空間だ。

コンクリートの土間の奥は仏様のいらっしゃる和室である。三雄さんには和室も残したいという希望があり、山田さんは土間と和室を隔てる壁を、ふすまでもスライディングドアでもなく、透明なガラスで作った。土間からガラス越しに見る和室は、清浄な気の流れるショーケースのようだ。

土間から和室を見る。土間は元々は続き間の和室だった

天井は4メートル幅の和歌山産の杉を使った天井。“つるん”とした感触よりも、木理(きめ)細かい方が三雄さんの要望に合うと思い、テクスチャーや上品さを大事にしたと山田さんは語る。

リブ(溝)の入った杉板の天井材と宮崎の材料でもあるシラス壁のコントラスト

西(玄関の左手)に土間と和室を配し、東側に広々としたキッチン・ダイニング・リビングスペースを設けたこの家の印象を繋ぐのは、中央にある2階に続く壁なし階段だろう。ステップは鉄板の上に板を貼ったもので、シンプルモダンの極みのような印象。素人目には分からないが、登り方向に少し角度をつけた“力作”だと山田さんは言う。この家に視覚的なアクセントがもたらす効果は絶大。この家の象徴的な存在だ。

三雄さんと栄養管理士の資格を持つ芳帆さんは、夫婦並んで台所に立つ仲良し夫婦である。芳帆さんのこだわりはキッチンの高さと、動線が最小限になる収納のコンパクトさだった。いまのところ手ふきタオルの位置に悩んでいる以外は、大満足の仕上がりだとほほえむ。

台所の収納の上には、芳帆さんのおじいさまが編まれたという籐かごがインテリアも兼ねて飾られている。おじいさまは家具メーカーを興されただけあって、手仕事を愛されているのだなあと、美しい仕上がりに見とれてしまう。リビングにある宮崎県産杉無垢材をオイルで仕上げた「テツボ」シリーズ(株式会社クワハタ)のサイドテーブルなども、芳帆さんの実家のオリジナル商品だ。

「テツボ」シリーズ(株式会社クワハタ)のサイドテーブル

山田さんは、この家の大工仕事に、自分の幼馴染みを派遣した。幼馴染みは熱血大工。設計にはないのに、ネコが部屋から廊下に出られる通り道(小窓)を作り、リビングから庭に出るにアルミの扉には、もう一枚格子状の木の扉を付けて、金属の冷たさを見えなくした。

「オープンハウスパーティでお友達が来てくれたとき、この格子の木の扉が女性達の間で人気でした。“わあ、これいいわねえ~”って」(芳帆さん)。

階段の途中では、人見知りなお銀(ネコ)がまどろみ、西の庭では、めっちゃ愛想の悪い血統書付きの柴がこちらを睨んで、番犬の役目を果たしている。リビングから視線が延びる庭には、東南アジアの植物を集めたミニ亜熱帯植物園コーナーも。

お銀は、三雄さんが通っていた宮崎市内の人情横町で、雨の中自転車のカゴに丸まっていた。たまらず洗濯袋に入れて、家に連れ帰ったのだと言う。

物も植物も犬も猫も人間も、それぞれがそれぞれの居場所を得て、気持ちよく呼吸している。近所にお住まいのお母様は、平屋暮らしを望まれたはずなのに、来るたびに「私がこっちに住めばよかった~」とおっしゃっているとか。

2024年の3月には夫妻に初のベイビーが誕生する。芳帆さんも三雄さんに連れられ、大分、鹿児島、熊本と、何回かキャンプを経験したが、二人っきりのキャンプが、小さな子供達が声を立てて駆け回る賑やかなキャンプになる日も、そう遠い先のことではない。2階にはクロスを張り替えた書斎が一つ、子供部屋が二つ、秘密基地になりそうな屋根裏部屋が用意されている。 落ち着いていながら解放感があり、シックなのにリズミカルでもある。住む人が趣味や新しい命とともに育てていく家。そんな家には未来の光が溢れている。

施工:吉武建築
photo:Nacasa&Partners Miyuki Kaneko/金子美由紀
interview&text:温水ゆかり